2002年10月31日木曜日

帰路

ニューヨークで乗り継ぎ。遠くにうっすらとマンハッタンの高層ビルが見える。ここからは15時間超の長時間フライト。でも幸いにして席はガラガラであった。

ようやく日本に帰ることができる。2週間ちょっとという時間以上に長旅に感じた。海外一人旅はすでに何度か経験しているが、初めての非欧米への旅、バックパッカーと呼ばれる旅、毎日が必死であった。チキンで極度の小心者のおれだが何とか行きたい所にいくことができた。そして無事に帰ってくることができた。それだけで他では味わえない充実感があるんだよな。小心者だから一人じゃ寂しいが、一人で行くからこそ、こんなおれでも行く先々で普段はないような出会いがあったりする。わざわざ苦労しに行くようなもんで、いわば修行だが、この非日常感は何物にも代えがたい。

そうそう、40リットルのバックパックですが、大きいどころか小さすぎでした。荷物全然入りきらん。。。

2002年10月30日水曜日

最終日

最終日はオキナワで会った人たちと過ごす。昼飯は地元人の使う食堂で4人で。


土産探しは治安の良いといわれるミラフローレス地区で。まあ、特に土産を買うあてもないわけだが。

宿に戻ると、ちょうど今日日本に帰るという人が二人いたので一緒に空港へ。二人はヒューストン経由とのこと、おれはなんとなくニューヨーク経由にしたので空港でお別れだ。成田着はそんなに変わらないので成田で会うこともあるだろうか。

2002年10月29日火曜日

リマへ

朝、少しアリカのまちを散策。近代的な街だが、見るものはない。


バスターミナルに行くと、早速コレクティーボの客引きに捕まる。これでタクナへ。ここで一緒だったペルー人の男性としばらく行動をともにすることになった。こんど日本に行くとか、リマでは親戚のうちに泊まれとか言っていたようだが、詳細は不明であった。疲れきっていて人と交流する気力もなかったというのが正直な所。

タクナからリマのフライトを無事に購入。これで旅の終わりが見えてきた。アエロコンチネンテのオフィスから空港までは、オフィスの人が連れて行ってくれた。

リマではオキナワという日本人宿に。変わった人が多いという印象だが、なんだかんだで夜12時まで話して就寝。ピースボート地球一周で来ている人もいたのが印象的だった。いろんな旅の形があるもんだ。

2002年10月28日月曜日

アリカへ

朝から大失態。
疲れが溜まって寝坊してしまった。必死に準備し、タクシーに飛び乗り、バスターミナルに向かうが時すでに遅し。朝のアリカ行きには乗れなかった。ホテルに戻りゆっくりした後、午後のバスに乗る。

バスは暖房も効き、椅子もすばらしい。この旅最高のバスだ。さすがチリ?道路もチリに入ってからのが整備されている気がした。ここの車窓もまた最高であった。富士山のような山もあった。




アリカに着いたのは夜中12時頃。しかも誰も降りない。しかし運よく?ホテルの客引きがいた。もうこれについていく以外宿にありつける方法はない、と思った。ホテルの部屋は清潔であった。しかし夜は湯が出なかった。(朝は出た)ちなみにちゃっかりバス停からホテルまでの交通費も請求された。

2002年10月27日日曜日

ラパスへ戻る

当初の予定ではウユニからチリに抜け、北上してリマに戻る予定だったが、体調不良で一日無駄にしたため断念、ウユニからとりあえずラパスに戻って、そこからリマへ向かうことにした。

夜行でオルーロにつき、バスでラパスへ。ラパスでは適当な宿を選ぶが、部屋が無駄に広いだけのぼろい宿だった。疲れも溜まって冒険できないので、夕飯はバーガーキング。高い。




ラパスからリマは、飛行機も出てるが異常に高そう。できるだけバスを使うことにし、ラパスからチリのアリカへ、アリカからペルーのタクナという国境近くの町へ出て、そこから国内線でリマに向かうという予定を立てた。毎日1便は出ているようだし、国内線ならそれほど高くないだろう。

2002年10月26日土曜日

ウユニ塩湖

早朝ウユニに到着。

とりあえず旅行の残りの日数から考えて一泊ツアーを探すが、参加者が他におらず高い。一泊ツアーはメジャーではないようだ。自分も本当は2泊3日でいくつかの湖を見ながらチリに抜けるツアーにしようと思っていたし(ラパスで体調不良で一日無駄にしたので断念したが)、欧米人には3泊4日のツアーが人気とは聞いていた。結局日帰りツアーを選択した。

このツアーにはもう一人日本人がいた。他はスペイン人。この時期、水はほとんど溜まっておらず、ひたすらに白い平原であった。鏡のような景色とはいかなかったが、十分すぎるほどのすばらしい体験。分かち合う日本人がいたのも良かった。




ツアー後3人でお茶をした。今まで行った場所でどこが素晴らしかったかという話になり、次はフンザに行きたくなった。

週に2本程度しかない夜行列車が運よく出ており、オルーロへ。暖房も効いており本当に快適な列車の旅になった。

2002年10月25日金曜日

ウユニへ

体調不良のため11時頃まで部屋で静養。薬を飲んでも効かない。

口は物を欲しているので、昨日の日本食屋にいって鍋焼きうどんを食す。すばらしい味!少なめに食べる。どうにも体調が戻らないので、わらにもすがる思いで、現地の薬局で薬を買う。なんと!!これで一気に快方に向かう。あとから副作用があるんじゃないかとか不安もあるが、背に腹はかえられない。


バスターミナルに行くと、昨日の彼が待っていた。なんと、泥棒にあったとのこと。パスポート等の再発行まで時間が有るとのことで、一緒にウユニにいくことになった。自分のほうが見た目も中身もよっぽど頼りない感じなのに彼が狙われるとは、ホントに何の因果だろうか。気を引き締めないと。

途中のオルーロの街の辺りで休憩、鳥の丸焼き?を買って食す。一気に食欲が出てきた感じ。びっくりしたのは、この鳥のお店のテレビから聞きなれた歌が流れてきたこと。なんとこんなところで「るろうに剣心」をやっているではないか!!カワマコ好きとしては感慨深い。

2002年10月24日木曜日

ラパス

朝、同じ宿に泊まっていた日本人と話す。昼ごはんを一緒に食べに行くことになった。体はかなり重く、腹の調子も悪い。ちょっとした坂道が壁のように感じる。


日本人会館のような所で日本食、なんとしょうが焼き定食を食す。味は非常にまとも。しかし体調不良であまり食べられず。口は欲しているのだが。。。腹の調子は良くなる気配なく、今夜の夜行バスでウユニに行くのは断念。コーヒーを飲んでたくさん話をした。なんとこの日本人は同じ大学の後輩であった。某大企業に内定をもらっており、いかにもできる感じのひと。それに比べおれといえば。。。

体調悪いため別のちょっとまともそうな宿に移る。腹の調子はさらに悪化しトイレが異常に近い。体も重い。ネットでもしにいこうかと思っていたがその元気なく、そのまま寝入った。


2002年10月23日水曜日

ラパスへ

今日は朝7時発でラパスまで一気の移動。
バスからチチカカ湖を眺めながら進む。プーノを離れるにつれ景色がよくなる。水も綺麗に見える。

国境越えはスムーズだった。いったんバスを降りて入国手続き、その先にまたバスが待っていた。歩いての国境越えは情緒がある。


コパカバーナのまちに到着。寂れているが綺麗な町。プーノもそうだったが、湖というより海岸の町という開放的な雰囲気だ。これで富士山並みの標高があるってんだから、信じられない。


変な食堂に連れて行かれ適当に安いコンチネンタル式の朝食を頼む。しかし、これが悲劇の始まりか。この後ずっとまともな食べ物にありつけず、体力がどんどん低下していくことに。

船で太陽の島に。片道1時間半。綺麗な島だが、土産屋の客引きや写真とって!の声が若干うるさく感じる。


夕方のバスでラパスへ。途中降りてボートで川?を渡ったりと興味深い行程ではあったが、バスの中はどんどん寒くなってきた。たまたま持っていたカイロで暖をとる。これがなかったら死んでたかもと思うくらい震えてきた。まともに食べていないせいか、体力の限界が近かった。

ラパスではタクシーで(体が重く歩く体力はなかった)目星をつけておいたホテルにいくもなんと満室。紹介された近くの宿へ。もうほとんど体が動かない。最後の力を振り絞って到着も、また満室。しかしもう動けない。なんと、倉庫のようなところに寝させられる最悪の経験。これで完全に死んだ。

2002年10月22日火曜日

ウロス島タキーレ島

朝ゆっくり準備をしていて、ふと腕時計を見ると集合時間の7時をだいぶ過ぎてる!!!血の気が引いた。大急ぎで準備してフロントに行くと、なんとまだ7時前。時計が狂っていた。原因不明。しかし助かった。

ツアーでは運よく日本人二人組みと一緒になった。心強い。話せる人がいるとだいぶ気分が楽になる。ウロス島は水に浮いて不思議だが、観光施設化している。タキーレはのどかで綺麗な島だ。

二人のうち一人が高山病と思われる頭痛で苦しんでいたので、バファリンをあげた。ぴたりと頭痛が止まったよう。バファリン恐るべしだ。

途中、船の故障でしばらく待たされたり、帰りは天気が悪くなり揺られて辛かったが、概ね順調にツアーは終了した。



夕食は綺麗な店で、3人でピザとケーキを食した。こんな夜もたまには良い。心と体の休息を得た。

明日は、プーノから国境を超え、コパカバーナへ。そこで太陽の島ツアーに参加し、さらにバスでラパスまでの行程を一気にこなすことにした。

2002年10月21日月曜日

プーノへ

7:30のバスでチチカカ湖畔の街プーノへ。
バスは他に欧米人3人のみ。運転手も含めて盛り上がっている。こちらは当然一人ぼっち。困る。まぁ、気楽といえば気楽だが。

途中名もなき遺跡に立ち寄りながら進む。徐々に標高を増していき、途中休憩した峠は標高4,300メートル地点。人生最高所だ。




絶景の車窓を楽しむ。空が近い!気がする。長時間のバス旅、話す人もいないが、飽きることはない。


泊まりはロンプラにも載ってるロスウロス。ホテルでは明日のウロス島タキーレ島のツアーを申し込めた。さらにラパス行きのバスについても提案されたがとりあえず保留。全部手配できるのは便利だな。

2002年10月20日日曜日

ワイナピチュ登山

朝7:30のバスで再びマチュピチュへ。できればもっと早いバスに乗るべきと思う。

ワイナピチュへ登る。マチュピチュが上から見下ろせる、外せない場所。片道1時間の登山。体力的には問題ないが、高所恐怖症だとやばそうな場所がちらほら。天気は相変わらずいまいちだが、絶景なり。





午後2時ごろのバスで山を下り、電車に乗り換え夜8時ごろにクスコ着。明日は早朝のバスなので、タイトスケジュールだ。

2002年10月19日土曜日

マチュピチュへ

朝からマチュピチュへ向かう。
3時間ほどの列車の旅。窓から見える景色もすべてが新鮮だ。

アグアスカリエンテスの町に到着。
マチュピチュへはここからさらにバスで30分。つづら折の道をひたすら登る。歩いていくこともでき、そうすると感動もひとしおとか。。。おれにはその選択肢は思いつかなかったが。

マチュピチュは今日と明日の滞在。日帰りだと2時間ほどしか滞在できない。しかも人の多い時間。これだけの労力をかけてここまで来て、それではもったいない。

マチュピチュに着いた。天気は曇り、時折激しい雨。そんな天気だから、景色を味わうような余裕もなく、意外と地味?みたいな印象。しかし、歩き回るうちに天気も回復、午後になって人も減ってくると徐々にすばらしさが実感できるようになってきた。

ラピュタの世界?かどうかはわからないが、すばらしい場所。夕方、人が少なくなってからの時間は、思わず感傷に浸ってしまうような雰囲気がある。ここでは、その辺の石に腰かけ、ボーっとするだけでいい。



アグアスカリエンテスに戻り、ロンプラを読みながら宿を探していると声をかけられる。それに載ってる宿に連れて行ってやる的な感じ。もともと選択肢の少ない町だしとりあえずついていってみるとなかなかの宿だった。ホテルイマスマック?とかいったかな。

このアグアスカリエンテスの町の名前は、訳すと「温泉」である。本当に温泉がある。見てみたかったが体力が持たず早々に就寝。ちなみに衛生面ではいかにも不安な感じらしいが。。。

2002年10月18日金曜日

クスコ市内

午前は市内を観光。天気は雨。
坂の多い街で、雨水がすごい勢いで道路を流れていく。

午後はサクサイワマンという街近くの高台の遺跡まで登る。ここからの景色はすばらしい。天気も回復してきた。


馬で周辺の遺跡を回るツアーに参加。馬で回るのは気持ちい~~と思うのもつかの間、振動で頭が痛くなってきた。何せここは標高3,000メートルを超える高地。馬上でバランスを取るだけでも結構な運動、それで高山病になったのかもしれない。ちなみにこのツアー延々2~3時間くらい馬に乗り続ける。さすがに飽きる。それなりの覚悟が必要だ。


宿に帰ったらさらに頭痛がひどくなった。高地で無理するもんじゃない。ためしにバファリンを飲んだ所頭痛がピタリと治まった。すげ~

2002年10月17日木曜日

クスコへ

早朝というか未明、7時間ほどのフライトで無事にリマに到着。
ツアーの客引きらしき人が声をかけてくるがしつこくはない。ここで朝まで時間をつぶす。ダンキンドーナツの客は自分ひとり。まあ、開いててよかった。

早朝の便でクスコへ。
タクシーで街の中心、アルマス広場へ。アルマス広場からは地図を片手に日本人宿ペンション八幡へ。きつい階段を登って、到着。
まだ朝なのでこれから出発の人もいて、ロビー?はちょっとした賑わい。みんなが旅のつわものに見えてちょっと恐れおののく。なにせ、日本人宿自体、初めて。いったいどんな人種がいるのか、チキンなおれには不安いっぱい。

マチュピチュへのチケットを買いに行く。翌日は満席だったが、その次の日は空いていた。これでとりあえず一番の目的のマチュピチュへ行けることが決定。もう一日ずれていたらあとの日程に響くので良かった。さすがに混んでる。でも日本から予約していったらきっととんでもない値段なんだろう。

夜は宿で一緒だった人に連れて行ってもらった超怪しい食堂へ。50円くらい。特においしくもないが(というか味をどうのこうの言うレベルではない)、腹は壊さなかった。長期旅行している人はここまで切り詰めるのかな。それとも単なる怖いもの見たさか。



2002年10月16日水曜日

出発の日

初めてのバックパックを背負っての旅。
今まではヨーロッパばかりだったからいつもキャスター付だった。40リットルのバックパック。大きく感じるけど、どうか。

ヒューストン経由でリマへ。ヒューストンからの便は満席で窮屈だったが、疲れからかほとんど寝ていた。