2004年10月24日日曜日

最終日

帰国の日。夜の便でついに帰国だ。
昨日は夕飯に出かけようと思っているうちに寝てしまった。夕方6時くらいだったろうか。そしておきたのは朝9時。これまでの旅路、前日のバス移動、よほど疲れがたまっていたのだろう。

ここは、昼はかなり暑い。これまでの行程の寒さを一瞬にして忘れてしまいそうだ。この街自体はとくに見るものはない。買い物でもと思ったがバザールなど行く気力もない。しかもラマダンの時期で食い物屋の類もやってない。落ち着けるような場所はなさそうだ。

なんとか開いていたサブウェーで休憩。当然のようにほかに客はいない。「アメリカとは関係ありません」的な注意書きが書いてある。物騒だ。お土産はスーパーで適当にお菓子などを調達した。

夜、タクシーでイスラマバード空港へ。さりげなくぼったくろうとしてくる。フンザのほうではこんなことはなかったが、やはり都会に来るとこうなる。

2004年10月23日土曜日

ラーワルピンディ

カリマバードからのバスは3時間ほどでギルギットに到着、そこからラーワルピンディまで15時間。この15時間はどこよりも過酷なバス旅だった。とにかくカーブの連続で眠りようがない。足元においておいた靴はいつの間にかバスの最前列まで流れていっていた。夜中の休憩場所で見知らぬ人にチャイをご馳走になるなどいいこともあったが、、、次回来るならここは飛行機しかないな、と思った。

ラーワルピンディは喧騒がすごい。ボロいがロケーションの良いところの宿を取る。外に出て、飲み物などの買い物、飛行機のリコンファームを済ませる。夕飯は改めて食べに出ようと思ったが、力尽きてそのまま寝てしまった。




2004年10月22日金曜日

フンザ出発

残念ながらフンザ最終日だ。
ここに来て天気が回復。せっかくなのでイーグルネスト再挑戦だ。ちょうど宿の人たちも行くというので一緒にいくことになった。

快晴のフンザはぜんぜん違う。雪山も紅葉も美しく輝く。昨日に続いてフンザの真髄を見せてもらった。これ以上の場所が世界にあとどれだけあるというのか。










しかし残念ながらタイムオーバー、足早に山を下りる。こんなところまで来て急ぐのももったいないが、仕方ないのだ。午後のバスに乗り、一路最終目的地のラーワルピンディを目指す。



2004年10月21日木曜日

パスー

この日はフンザの真髄を見た。

カリマバードから北へ、パスーの方にすごいつり橋があるとのことで、ヒッチハイクなどで向かった。適当なところで下ろされ、河のほうに歩いていく。途中、農作業をする親子などが微笑ましい。学校があったので立ち寄った。皆元気に勉強をしている。みんなそろって記念撮影になってしまった。




つり橋が見えてきた。こ、これは、、、!!一つは朽ち果てているし、もう一つもステップが50センチおきくらいにしかないではないか。これをわたるのか??と思うが渡ってみた。高さがそれほどでもないのと、水量も多くないので、なんとかそれほど恐怖心を感じずに渡ることができた。しかしとにかくありえない光景だ。



さらにここからヒッチハイクし(なんとトラックのフロントのバンパーの隙間みたいなところに乗せられた)、なにやら立派なレストランについた。こんなところにレストランがあり、非常にまともなものが出たことが驚きだった。しかしなにより、ここからの景色が!!一生のうちでもこの景色を超えるものはそうそう見られないだろう。これがフンザの真髄だ。







2004年10月20日水曜日

イーグルネスト

今日も天気がいまいちだ。ここに長期に滞在している人に聞くと、ここの天気は4~5日ごとに変わるので一度曇ると数日は続くとのこと。ちょうど良くないときに当たってしまったのかもしれない。

だらだらしているだけでも仕方ないので、絶景ポイントであるイーグルネストへ。壮大な景色だが、やはり晴れてほしい、というのが正直なところであった。







2004年10月19日火曜日

期待はずれの温泉

温泉があるというので、数人で行って見ることにした。
車を乗り継ぎ近くで下ろしてもらうも…ちょろちょろと出ているだけで体を浸かることができるような代物ではなかった。どうやら本当の温泉は別にあるらしく、そこは地元の人が入るため秘密になっているらしい。もっとよくリサーチしないとたどり着けないようだ。

2004年10月18日月曜日

ウルタルトレッキング

朝フライドライスを食し、弁当も持っていざトレッキングへ。
村の端からひたすら谷沿いを歩く。だんだんと道はなくなり、時折ある目印だけを頼りに瓦礫の上を登っていく。今回は大勢だったから良いが、一人だったらどこかに迷い込んでしまいそうなルートだ。



休憩を入れつつ3時間ほどで氷河のビューポイントへ。天気は悪いが、氷河を近くで見ることができた。一人高山病らしき症状になっている人がいた。それほどの高所ではないはずだが、昨日到着したばかりとのこと、疲れが残っていると高山病にもなりやすいのだろう。







2004年10月17日日曜日

カリマバード散策

あまり天気が良くなく、ゆっくり起床。まだいくらか体は重い。
朝食はフンザブレッドとチャイ。フンザ…といっても普通の硬い黒パンだ。

天気は曇りだが、少し違うところへと思い、アルティット村へ。20分くらいと聞いていたがどう見てももっと遠い。寂れた村だ。アルティットフォートは改装中だった。しかし、その辺にいた子供が景色の良い場所を案内してくれた。帰りに村のお祭りのようなものに遭遇、ちょっとだけ見学をした。







昼飯は唯一?開いていたお店で、カレーを食べる。カレーといいつつ、野菜を煮たものであったが。景色は良かった。

ぶらぶらと歩いていると、カシュガルであった人に再会した。ブドウ畑で働く女の子を写真に収めたいという。なるほど、テーマを持って撮るとは素晴らしい。果たしておれは何かテーマがあるのだろうか。。。

夕飯にはなんと24人も集まった。こんな辺境の地に日本人がこんなに集まるってのも奇跡的だ。ここで色々話し、明日はウルタルトレッキングに行くことになった。


2004年10月16日土曜日

カリマバード到着

朝6時起床。足早に支度し、8時前には出発。問題は車がちゃんと捕まるか。また延々何時間も待たされるのでは・・・という不安がよぎる。しかし、意外にも車はすぐに出発した。

ワゴン車に押し込められ人がいっぱいで身動きをとるのも容易でない。車窓は次第に絶景に。パスーのあたりまで来るとこの世のものとは思えないような絶景が。しかしこの状態では写真も撮れず。

2時間ほどでカリマバードに到着。30分ほどの上り坂。またしても体が動かない。ここのところまともなものを食べてないからだろうか、高山病の後遺症だろうか。

あまりに疲れたので、ドミではなくシングルユースを希望。コショーサンの宿に決めた。しかし湯が出るといっておきながら出ない。さすがにこれではまずいので、宿を移動すべきかな。。。

村の中を少し歩いてみる。本当に小さな村。細い道沿いに店が並んでいるが、それだけ。店はほとんどしまって寂れているが、これはラマダンのせいらしい。








近くのバルティットフォートまで登る。すでに内部は閉まっていたが、外から見るだけで十分。確かに絶景だ。ただ、中国からの道が素晴らしすぎたので、ここが桃源郷とまで言われる場所かというとピンとこなかった。





夕食が良いと評判のコショーサンの宿、うわさに違わぬものだった。けっして立派なものが出てくるわけではないが、確かにおいしい。このためだけでも滞在する価値はあるだろう。

宿が停電になったこともあり(停電は頻繁である)、早めに話を切り上げ部屋でゆっくりする。それにしても部屋が寒い。寝袋をかぶって、ペットボトルにお湯を入れて湯たんぽ代わりにして、やっと寝た。



2004年10月15日金曜日

クンジュラブ峠越え

ついにパキスタンに入る日。
体調は最悪だ。やはりカラクリ湖の寒さが堪えたか。3700メートルの高所だから体がおかしくなって当然だ。

朝10時半、宿泊した交通賓館を出発、イミグレーションでは2時間を要す。さすが中国。

バスは山を登っていき、銀世界に。ついにクンジュラブ峠を越える。4700メートルとも5000メートルとも言われる場所、いずれにしても人生最高所を更新だ。景色も実に素晴らしい。







夕方、パキスタン側の国境の町スストに到着。ここから一路カリマバード、と思ったが、車を捕まえることはできなかった。この雰囲気では明日もいつ車が出るんだかわからない。とにもかくにも、今夜はここで一夜を越すしかない。お湯の出ない安宿。この最果てでは文句は言えない。





2004年10月14日木曜日

タシュクルガン

昨晩の寒さがこたえたが、湖畔を歩きすぎたのか、体調が最悪に。高山病+カゼ+下痢の3重苦のような状態に。しかしとりあえず動ける感じだったので周辺を散歩すると、帰りの足とりがやばいくらい重い。戻ってきて倒れこむ。動ける状態ではなくなった。とりあえずバスが来る時間まではしばらくあるので休むが良くなる気配がない。経験を生かしてバファリンを飲む。





少し動けるようになったので、とおりでバスを待つ。しかしバスが来るかもわからない。通りかかったワゴンを捕まえると乗せてくれた。値段の交渉とか、もう考える余地はなかった。

2時間半ほどでタシュクルガンへ。いくらか元気になったのでフォートまで歩く。絶景。しかし、帰りにまた体が動かなくなった。部屋に戻るとすごい寒気と震えに襲われた。もう、寝るしかない。明日はパキスタン行きのバスに乗らなくては。








2004年10月13日水曜日

カラクリ湖へ

いよいよカラコルムハイウェーの旅が始まる。旅人なら誰もがあこがれるルートだ。

朝10時にカシュガルを出発。バスはボロい。
途中の景色は信じられないくらいに素晴らしかった。バスが満員で車窓の写真が取れなかったのが本当に残念。お金がかかっても車をチャーターして自由に回りたい、と思うぐらい、極上の景色であった。

カラクリ湖には15時半くらいに到着。自分だけ道端に下ろされ、バスは休憩もなくさっさと行ってしまった。明日のタシュクルガンへのバスはうまく捕まえられるのだろうか、、、と不安になる。

カラクリ湖を湖岸沿いに2時間ほど歩いた。綺麗。牛が放牧されているだけで、何もない。この辺はキルギス人的な生活なのだろうか。山と湖があるだけの変わり映えしないといえばしない風景だが、近くに見える山々が7000メートル級であると考えると偉大だ。湖の標高は3700メートル、山々との標高差は3000メートル以上、近くに見える山々も案外遠いということだろうか。






夕方になり、寒さも厳しくなってきた。雪もちらつき、夜中は氷点下になるだろう。

今夜の泊まりはカラクリ湖畔の招待所。かなり頼りない建物。果たしてこの寒い夜をしのげるのだろうか。適当なご飯を頼み、あとはお湯のポットをもらってお茶でなんとか暖まろうとする。しかし寒い。ちなみに当然のことながらシャワーなどの設備はない。簡易ベッドがあるだけだ。しかもなんとトイレは外の青空トイレだ。


2004年10月12日火曜日

カシュガル

この日は一日カシュガルの街を散策。古さと新しさの混在する、味のある街だ。特にウイグル人地区?のあたりの雰囲気が良い。




2004年10月11日月曜日

カシュガル到着

カシュガルに到着。
とりあえず街の中心まで出て、そこから歩いて今夜の宿、チニワク賓館へ。いかにも中国らしい、見た目はそれなり、中は。。。という感じに見えたが、ここはそれなりに良い宿だった。熱い湯もたっぷり出るのはありがたい。

両替や、買い物を済ませ、夕飯はカバブとサモサ。ふつうにおいしかった。

同室に日本人が二人。この旅で初めてまともに日本人の旅行者と話をした。非常にくつろいだ雰囲気で、一息つくことができた。うち一人はなんとカメラマンをやっているとのこと。カシュガルには度々訪れているらしい。

2004年10月10日日曜日

シルクロード汽車紀行

朝から周辺ツアーに参加。
火炎山、高昌故城、アスタナ古墳、ベゼクリクなどを回る。高昌故城はだだっ広いなかに崩れて形のない遺跡がぽつぽつ残る。ほとんど何もない不毛の平原で地味だが、時折鳥の声がするなど趣もある。ベゼクリクは一部しか公開されていないようで物足りないが、周りの山や渓谷と合わせるとなかなかすばらしい景色。その後ぶどう園やなんとか塔とやらを回るが、わざわざ来るような場所ではなかった。この後ツアーは交河故城に行くが、自分はタイムリミット。バスターミナルまで送ってもらう。






バスターミナルで駅までのバスの切符を購入。中国語もわからず英語のさっぱり通じないが、字を書いて見せたらあっさり買えた。ありがたい。とんでもない悪路(というより途中からは道なき道になった)を進む。本当にこんなところに駅があるのか、と思うこと1時間ちょっとで駅に到着。駅は意外にも立派であった。周りにもお店が立ち並び、活気がある。無事に寝台車の切符が買えた。

しばらくすると汽車が入ってきた。指定された場所は2階建て車両の2階、上段のベッド。狭い。荷物の置き場所がない。。。くつろぐ場所がないのでうろうろすると下の階は乗客が少なく、ここの通路で落ち着くことができた。列車内には熱湯の出る装置があるので、それでお茶を作ってくつろぐ。しかし、もっと乗客の多い時期だったらと思うとぞっとする。カシュガルまで20時間の旅は始まったばかり。

徐々に外は暗くなってきた。延々と続く不毛な台地。ほとんど変化のない景色だが、不思議とつまらなくはない。逆にしんみりした感じで、旅情があるとでも言おうか。しばらくすると次の駅に到着。カップめんを買ってみた。味はもちろん期待していなかったが、やはり。。。味は濃いがコクがない。塩辛いだけだ。






2004年10月9日土曜日

トルファン

怪しげなホテルを出てタクシーを捕まえ、人民公園へ。やっとの思いで両替し、バスターミナルへ。立派なバスでトルファンへ向かう。

トルファンでバスを降りると、やたら日本語のうまい人に声をかけられる。アイちゃんというらしい。トルファン賓館まで連れて行くというので乗っけてもらう。この手で何度だまされたかと思いつつ。。。

彼の経営するというカフェに連れて行かれ、そこで観光の相談。お勧めの場所があるとのことで、一人では高すぎる金額だが、ほかを探す余裕もないのでそこへ行くこととする。

シルクロードを通って吐峪溝?へ。シルクロードといっても舗装された一本道だが。途中の景色は綺麗で、時折写真を撮るため止まってくれた。吐峪溝はとても良いところであった。時が止まったような静けさだ。もう少し長居したかったが、日も暮れてきたので帰ることとする。





宿はチェコスロバキアからの2人組と同室。長期旅行らしい。シャワーを浴びたがほとんどお湯が出ず。しかし文句を言おうにも中国語では…



2004年10月8日金曜日

ウルムチへ

北京経由でウルムチへ。
無事に北京に着いたが、いきなりピンチ。怪しい男に捕まり無理やり案内されて、お金を要求された。ここまでならありがちかもしれないが、それを振り払っているうちに両替ができなかったことは想定外。国内線のゲート付近には銀行もない。ウルムチに着くのは夜の11時過ぎ。それでも空港なら普通はATMくらいありそうだが、ここは中国。やばい状態に追い込まれた。

不安な中、ウルムチに到着。やはり甘くなかった。両替できず。空港にはホテルがあるはずで、そこでもいいと思ったが、どこにあるか不明。結局ドルでも可というあやしい客引きと交渉してホテルに連れて行ってもらう。しかし予想以上に超怪しいホテル。値段も言い値と違い小一時間争うが、時間も時間だけにここに泊まるしか選択肢はない。

これがまた、部屋に入ってみると汚いし、部屋の外にすらシャワーもないような最悪の宿。中国は甘くない。ウイグルのほうはマシかと思っていたが、中国は中国だ。